バブル時代に競馬は人気になり生産頭数も上昇

仔馬

日本が好景気に沸いていたバブルと呼ばれた時代には、競馬に出走する競走馬の生産頭数も上昇し続けていました。 競走馬を所有し、レースに参加するためには馬主資格と言う物をオーナーは取得しなければなりませんが、そのオーナー達もバブルで潤っていたので、所有する頭数も増やして行ったのです。

日本で最も競走馬を生産している北海道の競走馬生産農家では、それまで兼業農家だった所も、本格的に競走馬生産の乗り出す所も珍しくありませんでした。 また、オグリキャップの登場により、それまで競馬に興味がなかった人も競馬への関心を持つようになり、競馬場だけでなく、生産牧場にもファンが押し寄せるようになりました。

日本で生産される競走馬だけでは足りなくなり、海外からも高額な種牡馬や繁殖牝馬を導入する事が普及しました。 上昇を続けていた日本の生産頭数も、バブルの崩壊と共に衰退の方向に進むのようになりました。 オグリキャップなどのヒーロー的存在の競走馬のお陰で、ギャンブルのイメージだけでなく、スポーツやレジャーとして認知されるようになりましたが、経済動物とも呼ばれる競走馬の生産頭数が再び上昇する時代は、残念ながらまだやって来てはいません。