天才騎手といえば

天才騎手

JRAで活躍している騎手の情報は、容易に入手することが可能です。特に天才と呼ばれている人は、能力の低い馬を上位に持ってくることも多いため注意が必要です。日本の競馬界で天才騎手の名を欲しいままにしているのは、現在は武豊、過去には福永洋一がいました。

武豊の父である武邦彦もまた、JRAで騎乗し活躍した名ジョッキーで、武豊は三男として1969年に生まれ、1987年にデビューを迎えます。デビュー当初から勝負どころでの判断の速さや勝ちにこだわる姿勢、馬に負担を掛けないフォームなど他のジョッキーとは一線を画し、デビュー初年度10月に行われた京都大賞典で、トウカイローマンに騎乗し重賞初制覇を飾りました。

ジョッキー

翌1988年は、スーパークリークでクラシック制覇の期待がかかったものの、調教中の骨折により日本ダービーへの出走は叶いませんでした。しかし、直前に出走が可能となった菊花賞では、2着以下に5馬身もの差をつけて快勝、武豊にとって初めてのG1勝利となりました。翌年以降もシャダイカグラやイナリワン、オグリキャップといった名馬でG1レースを勝利し、2017年までにG1レースを70勝以上、地方や海外を含めた通算勝利数に至っては、前代未聞の4000勝以上を記録するなど、日本の競馬界を牽引する存在となっています。

レジェンドとして語り継がれている福永洋一騎手は、福永祐一の父であり、日本の競馬界では類まれな天才ジョッキーでした。動物的勘に優れ抜群の運動神経を持っていただけでなく、類まれな記憶力により常に入手していた情報を頭に叩きこんだうえで競馬に臨むなど努力を惜しまず、天才の名を欲しいままにしていました。1979年の落馬事故により引退を余儀なくされましたが、現在も「天才騎手」と言えば福永洋一の代名詞であることに変わりはありません。