バブル時代後の競馬界に生まれたフジキセキ

フジキセキ

熱狂のバブル時代を終えて日本が「失われた20年」に突入して間もない1992年、その年に生を受けたのがサンデーサイレンスの初年度産駒の一頭、フジキセキでした。

このフジキセキは当初、「ダートであればなんとか走れるだろう」程度の評価しか与えられていませんでした。 しかし実際に調教が始まり、その走りを見た業界人は「この馬は凄い競走馬になるのでは」と期待を膨らませ始めます。

そして迎えた新馬戦、出遅れから始まったことに落胆の声が上がったかと思えば、終わってみれば8馬身差を付ける大勝利であり、その後のもみじステークスでは楽々とレコードタイムを更新する凄まじい走りを見せつけます。

朝日三歳ステークスでも鞭すら使わぬ余裕の勝利をおさめ、「三冠馬は間違いないだろう」と競馬ファンたちは沸き立ちました。 続く弥生賞でも勝利をおさめたことからその期待はさらに膨らみますが、競馬は時に残酷な運命を突きつけるものです。

全治まで一年以上かかる屈腱炎、それが三冠馬間違い無しと見られたフジキセキに突きつけられた競走馬としての終わり告げた言葉であり、その後は種牡馬としての生活をスタートして堅実な勝利を収める馬たちの父になりました。

競馬では「無事是名馬」、無事に競走馬として終わったのであればそれだけで名馬なのだという言葉がありますが、皮肉にもその言葉がこの馬を示す一言になってしまったのです。