ダート競馬を主体とした地方競馬の歴史

ダート

自治体が主催するダート主体の地方競馬は、独自の歴史を歩んできました。 第二次大戦前には既に各地でレースが行われていましたが、1928年に正式な規則が施行され、1948年には競馬法が設立されたことで、それまで各地で自由に実施されていたものが、正式に都道府県管轄による「公営競馬」となり、全国61箇所での開催となりました。

1970年代には、後に中央へと移籍したハイセイコーにより大きなブームがもたらされましたが、黒い霧事件など公営競技の不透明さが社会問題となり厳しい状況が続きます。 1980年代に入ると、ナイターで差別化を図ったり、中央と地方が一体となった連携も見られるようになったほか、1980年代後半にはオグリキャップの登場により再度ブームが到来しました。

一時は赤字によって廃止に追い込まれる自治体もありましたが、競馬法の改正により民間企業への業務委託が可能となってからは劇的な変化を遂げています。 リアルタイムで全場全レースを見るには、有料サービスに加入するしかない中央競馬とは対照的に、全レースのライブ配信が無料で行われるなど利便性では既に逆転しており、収益が安定する自治体も増加しています。